永井均 『倫理とは何か 猫のアインジヒトの挑戦』 序章・第一章 覚書
序章
アインジヒトとの遭遇 何が問題か?
- 道徳的善悪
- 道徳的問題
- 売春や臓器売買のことではなく、「いけない」とはどういうことか、およそ「いけない」ということが存在しうるのかというほうが問題である。
第一章
M先生の講義Ⅰ プラトンとアリストテレス(真の幸福について)
1. プラトン 調和と恋
『国家』においてプラトンの主張はトラシュコマスやグラウコンの主張に対するソクラテスの反論という形で語られる。
- グラウコンの挑戦
- ピュシス(自然本来のあり方)からいえば、人に不正を加えることが善で、不正を受けることが悪である。悪による損害のほうが、善による利益より大きい場合、不正を加えたり受けたりしないように契約するほうが得である。これにより、ノモス(法のような人為的な制度)が制定され、それが命じる事柄が正義となった。
- ギュゲスの指輪(望むときに姿を隠せる指輪)があれば一方的に不正を行える。これがあれば皆がノモスが定めた正義を破ると考えられることから、正義(道徳的)とは当人にとって個人的に善いとは言えない。
- 「極端に不正な人」、「極端に正しい人」はどちらが幸福であるのかというグラウコンの問いに対して、ソクラテスは、正義にかなった生き方こそが真の幸福を成立させると主張する。つまり正義を行えば精神は健康であり、不正義を行えば精神が不健康になるので、正しい人のほうが幸福であるという理屈になる。
- ソクラテス=プラトンの主張の根底は身体の健康と類比によって考えられた精神の健康という観念にある。
2. アリストテレス 幸福と中庸
アリストテレスはプラトンのアカデメイアに入学し、プラトンの弟子となった。
- 究極目的である幸福
- 名誉、快楽、知識を欲するのは、それ自体のためであったり、幸福になるためであったりするが、何かのために幸福を欲することはない。
- 人間のエルゴン(固有の働き)、理性
- 習慣と中庸
- 勇気や節制などの器量(アテレー、徳)は習慣によってのみ育てられる。また、どのような器量も過剰であったり、不足によって失われ、中庸によってのみ保たれる。
- アリストテレスの正義論
- 真理の主張にも中庸を要求していたため、全てに適用できるような原理を提唱しなかった。
- 友愛(フィリア)
- 友愛が成立するためには「互いに相手のために善いことを願い、それが相手に知られている」が重要である。
- アリストテレスは正義は友愛なしには存立不可能であると述べたが、社会契約説では友愛なしに正義を構築する。つまり、人間が基本的に利己的であると仮定している。
アインジヒトとの議論Ⅰ 人はみな自分の幸福を求めているか?
- グラウコンの挑戦に関する議論
- エルゴンと人間としての役割
- 社会に属する上で、ある仕事に求められることが存在するように、人間にも求められることがある。それを果たすかは自由である。
- 中庸の本質
- 一つ目の基準としては、社会的な要請による任務と、自分の自由な生き方のバランス。二つ目は長期的な幸福と、短期的な幸福のバランスである。これらの基準を交差させれば、様々な状態に中庸が適用できることになる。
- カント的観点からの批判
- 人が困っているという理由だけで助けるという道徳的に善い人は、それを幸福になるために行っている。この人は結局自分のための幸福を追い求めてるから、真に道徳的に善い人といえるのか?という批判
- 一つのポイントとして、困っているから助けるという人と自分の幸福のために助ける人とはどう違いがあるのかということ。結局は何かしらの信念があって自分がしたいことをするのだから、そこに違いはない。
- 鳥観的な視点
- 人間は喫煙を避けることで得られる健康といった長期的な幸福と、喫煙で得られる快楽といった短期的な幸福を同じ基準で見られる視点を持っていない。
グリザイア:ファントムトリガー Vol. 5 感想
ロシアンニンジャことムラサキ担当回。
新キャラクターはムラサキの姉、ユーキ。
メインテーマはムラサキのカインコンプレックス。
前回負傷したクリスが退院して美浜学園に戻ってくるところからスタート。
グリアイアシリーズ恒例の軽妙な日常トークは相変わらず。
ミニタリー系に詳しい人ならニヤリとさせられる場面もいくつか。
シューティングレンジ内の会話もそうですが、グミとトーカの軍隊式の掛け合いは面白いですね。
グミちゃん可愛い…
また、序盤にあるトーカの行動心理のキャラクタライズは的を得ているかなと。
優しい人は、寂しがりやであります…
寂しがりやは、他人とのつながりをとても大切にするであります…
大切にするからこそ、簡単に他人を信用しないであります…
疑って疑って、時にはわざと嫌われてみたりして、そんな風に何度も何度も相手を試して、こんな面倒クサイ私でもいいの?って、何度も試して…
それでもいい、そんなキミがいいって人だけ、仲良くなるのでありますよね?
彼女は人に嫌われるのを嫌う。だからこそ『この一線を超えると嫌われる』という明確な線引きを欲しがり、わざと人を怒らせてみたりもする。
『その程度で壊れてしまうならそれまでのこと』とは彼女の言い分だが、なんとも不器用なことだ。
こうやってキャラクターのパーソナリティを第三者視点からキャラクタライズするのは、大なり小なりキャラクターに共感したり、理解が深まったりするのでいいですね。
ムラサキの姉であるユーキはカテゴリー的にはおふざけ巨乳お姉さん。頼れるお姉さんっていうキャラクターはクリスと被るので、おふざけつつ、掴みどころのないキャラクターとして設定された印象を受けます。
ハルトとの最初の掛け合いで、性格を変えすぎて元の性格が分からなくなっているっていう話が個人的にツボです。
ハルトが一番好きだった性格を聞くところとかナンカイイがあります。
シューティングレンジでのAK談話とかは完全に作者の趣味が出ていますね。マグポーチの巨乳談話も良かった。
閑話休題。
スパイの面目躍如って感じで、美浜学園に馴染んでいくユーキを尻目に、姉と自分を比較して、存在意義を徐々に失っていくムラサキ。
そんな中で、ムラサキの過去編が語られます。
ムラサキの人間性、人格自体を否定せず、ムラサキにあった生き方を探せというハルトの言葉は閉鎖的な空間で、考えが凝り固まったムラサキの胸を打つ。
ここらへんの説教パートはシリーズでお馴染みですね。
他にも姉妹の過去話で両者の性格の形成過程がなんとなく垣間見れます。
姉が手に入れたものが欲しくなるっていうのは、自分も姉がいるのですごく分かります。
その後、破門された人が来て、村人を皆殺し。ムラサキが持つ秘伝の技が明らかになり、終了。
能力的なことをいえば、兄弟ってものは不思議とバランスが取れるようになっているなとー私は思っているのですが、この姉妹では才能と素養っていう形でバランスを取っています。
この技の素養という部分が、才能で劣る姉との対比で肥大化し、ムラサキの中で大きなアイデンティティになっていのかなと。
ニンジャへの拘りや道具として自分の価値を示そうとするのも、根本にこれがあるからだと思われます。
回想でハルトが語る、誰かの役に立つなら、命を大事にして、自分にできることをその範囲で精一杯やり、大切にしてくれる人の元に戻って来いという話はシリーズの根幹ですね。
ことあるごとに、美浜学園の生徒がいつ死んでもおかしくないと匂わせていますが、ここがある限りキャラクターがいたずらに死んだりしない作品なのかなと思っています。
個人的には殺人者は幸せになれないストーリーが好みなんですがね。
最後のハルトとユーキの会話の
ハルト「…オマエのことは好きだけど、俺は…」
ユーキ「待って、いわないで!やっぱ聞きたくない!」
っていうところはBGMの影響もあってWA2を思い出しました。
こういういじらしい一面を最後に出すのは上手いですね。
最後の姉妹の繋がりの話。
離れていても姉妹の間では切れない確かな繋がりに思いを馳せてEDへ。
個人的には、過去編は手抜きかなと。
いきなり能力ものになってしまうと、せっかくリアル寄りの部分があるのに、だいぶ白けますね。
掛け合いやキャラは好きなのですが、続き物という性質上、この先採算が取れるのかと心配な出来になってきている気がします。
折角英語対応してるのだからPatreonとかで資金集めて自由に作ってくれればと思います。